ジェイク・ローセンバーグ インタビュー “EPICETER”

1992年「Questionable」 1994年「Virtual reality」など90年代初頭にそれまでのスケートかたストリートスケートへの大変革が起きた数年間の伝説的なスケートビデオを制作したジェイク・ローセンバーグ。現在も映像ディレクターとして活躍する彼が、これまた伝説のスケートスポットEMBで、当時撮り溜めた写真集を一冊にまとめた。名付けて『EPICENTER』(震源地の意)。これを記念してHeshdawgs skateshop(原宿)のサイン会にて突撃取材。インタビュワーはジェイク氏の、いわば後輩に当たるフィルマーAnthony Claravall。1992年「Questionable」 1994年「Virtual reality」など90年代初頭にそれまでのスケートかたストリートスケートへの大変革が起きた数年間の伝説的なスケートビデオを制作したジェイク・ローセンバーグ。現在も映像ディレクターとして活躍する彼が、これまた伝説のスケートスポットEMBで、当時撮り溜めた写真集を一冊にまとめた。名付けて『EPICENTER』(震源地の意)。これを記念してHeshdawgs skateshop(原宿)のサイン会にて突撃取材。インタビュワーはジェイク氏の、いわば後輩に当たるフィルマーAnthony Claravall。
──最初の質問は、映像と写真について。いつ頃から撮り始めたんですか?10歳くらいかな。サマーキャンプに行ったのがきっかけで、スチル写真を撮り始めたんだ。小さい頃からカメラが身近にあって、扱うのも自然だった。同じ時期に、家にあったフィルムカメラでスーパー8も撮り始めてね。ストップモーションとか、スター・ウォーズのバトルシーンとか、そんなのを作ってた。
──日常とか、家族の写真を撮ってた感じ?そうそう。ディズニーランド行ったら写真撮るし、イベント行っても撮る。基本はいつも友達とか家族の周り。それで、サマーキャンプのたびにたくさん写真を撮るようになって。スケートボードに出会ってからは、スケートビデオの“撮られ方”そのものに惹かれていった感じかな。
──最初は写真がメイン?それとも映像?スケートの場合、まず目に入るのは雑誌の写真だよね。そのあとにビデオがくる。1988年のスケートキャンプでは写真を撮ってたけど、その後に映像を撮りたいって思うようになった。
──どのスケートキャンプ?1988年のYMCAスケートケア。場所はサンタクララ。そこでマイク・ターナスキーに出会って、H-Streetのビデオ撮影を少し手伝ったんだ。
──ヤバいですね。キャンプ中にね。
──1988年って、15歳とか?15歳
──当時はどんなカメラを使ってたんですか?1988年はRicohのスチルカメラ。それと、父親のNikon FG。すごくシンプルなニコンだった。1989年にはCanonを手に入れて、8ミリ(Hi-8じゃない)で映像も撮り始めた。
──スチルはフラッシュ使ってました?ほとんど使ってなかった。白黒かカラーで、ノーフラッシュ。1989年から、ちゃんとフラッシュを使って白黒やスライドフィルムも撮り始めた。
──お気に入りの焦点距離とかレンズは?理由は分からないけど、最初からワイドが好きだった。28–85mm F4のズームを使ってたよ。
──『Virtual Reality』のあともスケートビデオは?マイク・ターナスキーが亡くなった後に『Secondhand Smoke』を編集した。その後は411もいくつかやって、ウィル・ハーモンとパナマ・ダンのパートを撮った。だからDelの曲が使われてるんだ。
──今に至るまでの、映像・ディレクションの流れを教えてください。子どもの頃から「監督」という存在は知ってた。スター・ウォーズのジョージ・ルーカスとか、ジョーズのスピルバーグとかね。映画を作りたい気持ちはずっとあったけど、どうやってそこに行くのかは分からなかった。スケートビデオを撮り始めると、「もっと映画的なことがやりたい」って思うようになって、映画学校に行くことにした。撮影はずっと続けてたけど、徐々にディレクションに軸足を移していった。監督として一番好きなのは、才能ある人たちと一緒に作れること。自分でカメラを持つこともできるけど、「こう思うんだけど、どう?」って話し合いながら作る方が好きなんだ。そういうコラボレーションから、すごくユニークで美しいものが生まれる。映画学校に行って、撮れるチャンスは全部撮って、Hieroglyphicsのミュージックビデオをたくさん撮ったのが、本格的なディレクター人生の始まりだった。その後、編集やポスプロ中心の時期に移っていったね。
──当時EMBで滑ってた日本人スケーター、覚えてます?正直、すぐには思い浮かばないな。今ならユウトとか知ってるし、ハリウッド・ハイの近くに住んでるから、フナが一発でフロント・クルックしたのも見てる。今の日本人スケーターは、ハリウッド・ハイを“制圧”してる感じだね。昔だと、レスター・カサイとか、スペンサー・フジモトは日本系かな。
──次の質問です。あなたの本は『EPICENTER』。EMBはスケートの震源地で、サンフランシスコは地震の震源地でもある。今は「日本がスケートのエピセンター」だと言う人も多いですが?日本のスケーターは、すごくテクニカルで自信がある。ユウトを見てると特に感じる。タクシードライバーのお父さんの話とか、スケートを通したバックグラウンドが見えてくるんだ。オリンピックの良いところは、スケートが世界的な舞台になって、いろんな文化が入ってきたこと。この10年で、日本のスケーターは「自分たちもこのカルチャーの重要な担い手だ」ってはっきり示したと思うし、それは否定できない。日本の女子スケーターは本当にヤバい。技術レベルもトリックの難易度も異次元。日本には、スケート全体に影響を与えるすごいムーブメントがあると思う。
──最後に、これから写真や映像を始めたい人へアドバイスを。よく聞かれる質問だけど、答えはシンプルで、同時に難しい。最初はどうしても「誰かみたいになりたい」って思う。でも大事なのは、影響を受けつつ、自分が“いい”と思うことや、伝えたいストーリーを見つけて、それを最後までやり切ること。そのプロセスにちゃんと心が入っていれば、結果的に負けることはないと思う。映像って「失敗しながら成長する」ものだから。最初は難しいけど、2回目は少し楽になる。一発目が当たらなくても、次は確実に理解が深まる。映像の良いところは、学びが終わらないこと。影響を受けるのはいいけど、みんなが見たいのは“その人だけの視点”。心に残る映画って、結局は作り手がどう感じていたか、なんだよね。映画学校では黒澤明が一番好きだった。アクション、ドラマ、犯罪映画、侍映画…幅がとんでもなく広い。でも共通してるのは「唯一無二の人生」を描いているところ。一方で、小津安二郎は全然違う。みんな、それぞれ“自分が信じている感覚”に正直なんだ。だから、アドバイスはひとつ。感情を探して、それに全力を注ぐこと。やればやるほど楽になる。でも、本当に分かってきた時が一番難しい。その感情を掴もうとするからね。
──ありがとうございました。本当に影響を受けています。ここにいる全員、あなたの作品のファンです。ジェイク:そう言ってもらえるのは本当に嬉しいよ。僕はただ、好きな人たちと、好きなことをやってただけだから。そこから何かを受け取ってくれた人がいるなら、それ以上のことはない。ありがとう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です